2014/08/12

夏の戯言:メディアを愚痴る

夏休みという訳でもないが、この所ブログ書きをさぼってしまい、反省している。
そのくせ、ごろ寝をしながらテレビを見たり、インターネットを使っていると、愚痴が出てくる。
今回は、その理屈にもならない愚痴を書いてしまったので、ざっとななめ読みして頂ければと思う。
近頃、家の中の模様替えをした関係で、書斎の隣り部屋から、テレビの音声が聞こえてくるようになった。
今までは、あまり気にもならなかったのだが、一日中かなりの回数、同じ番宣やCMが繰り返し流されているのはみなさんの方が十分承知の事と思う。
利益追求型社会ですから、売れなくては困るわけで、従って、ターゲットとなる世代対象の番組時間帯で、かなり過剰表現のCMが絶え間なく流されている。(当然規定があるので許容範囲内という事でしょうが)
見る側には“またか!”と、呆れてしまいチャンネルを切り替えても、CMタイムが重なっているのだから“・・いずこも同じ春の夕暮れ“という始末。
数年前、ある研究会で、テレビ番組の構成について意見を述べたら、担当者は冷たく一言「嫌なら、見なければいいでしょ!」
近年は、視聴率を上げるため、スポットCMもさることながら、番組の中で、あるいは番組自体が番宣的になっているケースも多く見かける。
テレビのCMや番宣について愚見を述べたわけですが、チョット視点は異なるが、テレビのみならずインターネット等でもいろいろな問題が派生している事はご存じのとおりである。
例えば、ネットで何かを探していると、次の日には関係する会社や製品の情報や宣伝広告が入っているとか、ネット通販で頼みもしない商品が送られてくるなど、以前は想定もできなかったICT時代の影の部分が目立っている。
つまり、次世代に対応するための大所高所論は兎も角、今日の庶民の立場から考えると、CMや番宣、ネット広告や押し付け情報等を、批判的に見て冷静に判断できる能力を身に着けなくては日常生活も安心して過ごせない時代となったと言えよう。
今日、メディアに不慣れな世代の方々が当面している状況に対応できるメディアリテラシー育成を生涯学習の主題として積極的に取り上げる必要があると考える。