2015/07/26

全国大会間近か!

 全国大会も間近かになりましたね

 今年は、8月4.5日開催で、暑い東京の夏を満喫(?)して頂く事になりそうです。
 さて、わが全視連関係は、4日に「地域再生を目指したメディア利用の可能性と課題」をテーマにパネルディスカッションを行うようになっており、国内各地で活動しているグループや視聴覚ライブラリーの活動の様子を中心に話し合って頂く予定です。

 5日は、「地域映像の制作配信システムとその活用」と言う主題で研究協議を行う事になっています。

 今年の全国大会は“アクティブ・ラーニングに向けたICT活用のツボ”をキャッチコピーにして“ICT活用による授業改善”を取り上げて、先端的な研究発表やワークショップそしてスペシャルトーク等が組まれています。

 年に一度の全国大会ですから、ぜひ参考になる情報を持って帰って頂ければ幸いと思っていますが、只、先端的な理論や実践そして指導を丸呑みしてはいけないと思うのです。
 何故なら、それが貴方の担当する視聴覚センター・ライブラリーあるいは生涯学習センターや図書館などが抱えている現実的な課題や方向性とのマッチングという極めて大切な問題があるからです。
 筆者が望むことは、メディアサービス施設としての存在価値の希薄化と言う現実をどう改善するか、似たような状況下で成果を上げている方々や、問題を抱える方々と情報交換したりする機会にして頂けたらと思うからです。
 美味しい話は、誰でも好きです!
 しかし、古い流行歌ではありませんが、“一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩さがるー”です。
 夢でなく、確実に改善するヒントを得て帰って頂けたらと思います。

 では、大会の会場でお会いしましょう!!

2015/07/16

ラジオの時代



「マイクの旅」と云っても知っている人は少ないでしょうね。
 テレビ放送が始まったばかりの頃、家庭ではラジオを聞くのが主と云う時代でした。
そんな時代でしたが、どうしても子供達に聞かせてやりたいNHKラジオ学校放送番組があったのです。
それが4年生社会科の「マイクの旅」でした。
テレビは放送が始まったばかりの頃で、学校でテレビを見せるなんて事は、出来そうもない時代でした。
しかし、ラジオの学校放送は、定着しており、今日同様、研究指定校の放送教育公開研究会の授業等で、ラジオ放送を聞かせているのを見て、俺の学級の子供達にも聞かせてやりたいと思ったのです。
そんな思いは兎も角、実は、学校には、職員室や校長室等のある本校舎を除いて、教室には電気が引かれてなく、夕方になると真っ暗になり仕事も出来ない状態でした。
普通、それだけでラジオを聞かせる事は諦めてしまうのでしょうが、よし!他にいい方法はないか悪知恵を働かせるのです。
次の日曜日、東京の秋葉原に行きました。
そして、当時としては珍しい携帯ラジオを買いました。大きさはA4版くらい、電池が大きくて重い上、20時間くらいしか持たないものでした。
 次の週の社会科の授業は自分達の住む地域についての学習でした。
 授業が半分くらい進み、私は次のような質問をしてみました。
 「みんな!この九十九里浜ではね、昔は一杯鰯が獲れたのを知っている?」
 「知ってる!知ってる!夏よー、浜へ行くと漁船が一杯あったよ。」
 「おっぺし”がよー、みんな真っ裸で舟押していたよ!」
 など自分の知っている事を口々に叫びました。
 「でも、いまは何故鰯が獲れないのかな?」
 子供達は黙りました。
 「よ-し、今日はラジオ学校放送の“マイクの旅”という番組を聞いてみよう!」
 「えっつ!ラジオ?」
 先週買ってきた携帯ラジオを教卓の上に置くと、子ども達は、みんな珍しそうに小さなラジオを見つめました。
 スイッチを入れると、マイクの旅の主題歌が流れ番組が始まりました。
 マイクさん(寅さん映画で有名なタコ社長役の故太宰久雄さん)が、九十九里浜の漁業について、昔は鰯の沢山獲れた事、それが今は殆ど獲れなくなった事を話していました。
 当時、占領軍が九十九里浜主として今の片貝海岸当りに駐屯し、毎日、海に向かって高射砲を打つ訓練を続けていたのです。
 むろん潮流の変化等も要因なのですが、高射砲の射撃訓練のため漁船は漁に出られないし、鰯の魚群も九十九理浜から姿を消してしまったと言うのです。
 子ども達は、シーンとして携帯ラジオから聞こえてくるマイクさんの話を真剣に聞いていました。
 「マイクの旅」のエンディングで、遠く占領軍が射撃訓練をする大砲のドーンドーンと響いてくる音をバックに、マイクさんが海に向かって叫んだのです。
 「鰯よー!どこへ行ってしまったんだ!早く帰ってきておくれー!」
 女の子は声をあげて泣き出しました。
 じっとうつむいている男の子もいました。
 聞き終わって、社会科「九十九里の漁業」の勉強に取り組む子供達の、学びたい!と言う真剣さは、数十年経った今も忘れることが出来ません。
 ラジオがこんなにまでも、子供や教師の心をつかんで離さなかった昔の話です。