2016/05/15

「新教育映像普及事業」について

 実は、かつて、この教育映像普及事業は、国の施策として、映像教材の普及を図る事を目的とした助成事業として行われていたのです。
 それが、教育メディアの変遷に伴い、映像教材普及助成事業は終わりを告げたのです。
 現実的には、視聴覚センター・ライブラリーを始め、図書館や博物館、学校教育での映像教材利用は終わったのではなく、むしろその利用は普及し定着しつつあった時代であったと言えるかもしれません。

 しかし、どこの視聴覚ライブラリーや図書館博物館等でも、なんらかの後押しがなければ、なかなか新しい教材を購入する予算はつき難いと囁かれていたものです。
 そこで、考えたのが“新教育映像普及事業”と言う事業名で、全視連が各映像教材製作販売会社の協力を得て、質の良い映像教材(例えば、国の選定作品や映像教材コンクール入賞作品)を選んで推薦し、その利用効果を利用者の視点から調査しまとめて頂き、映像教材製作販売会社等に情報提供し、更なる優れた映像教材の企画製作そして利用に生かして頂こうと一石二鳥を企画したのです。
 しかし、そんな綺麗ごとだけでは、映像教材購入予算がつき難い現実にはフィットしないので、各映像教材製作販売会社の支援により“調査研究価格”を設定して“特別価格”で購できるシステムを用意したわけです。
 最初は、視聴覚センター・ライブラリーだけでなく、他の映像教材利用を目的とした団体や機関から多数の応募がありましたが、次第に、この事業に参加される施設や団体が漸減し、昨年はわずか1ライブラリーでした。
 優れた映像教材が今も沢山制作されているのです。文中で触れていますが、その趣旨やメリットを理解して頂き、ぜひ今年は多数の協力参加をお願いしたいものです。

 メルマガにも書きましたが、まもなく「新教育映像普及事業」への応募を呼びかける公式文書が送られると思います。沢山の応募を期待しています。

2016/05/05

伝える努力

 旧聞で恐縮ですが、「戦後70年」に当たる昨年夏休みに、ある小学校を会場に、地元の先生方が主催する「戦争と空襲を語る会」が行われた時の話です。
 ベテランのA先生が「東京大空襲」について資料を示しながら、空襲の恐ろしさを話していましたが、さすがに、資料の使い方も話術が素晴らしく、焼夷弾攻撃で家を焼かれ、その炎の中で焼け死んだ子供の話になると、涙ぐんでいる子もいました。

 会場には、米軍のB29の写真や、空襲で燃える町の写真、空襲で投下された本物の焼夷弾の薬きょうや古びた防空頭巾、防空壕の子供達の写真、そして当時の教科書等なども展示してありました。
 空襲の様子や戦争中の生活に関する資料を多く集められた努力には頭が下がりました。
 それだけに、戦争や空襲の語り聞かせをするために、どんな工夫や苦労をされたか、聞いてみたくなりました。

 なぜなら、語り聞かせるA先生自身は、戦争を体験されているわけではないのですから、如何に戦争や空襲に関する情報を集め、その情報の正しさを確かめ、まとめ、伝えるかが重要な事だと思ったからです。
 「東京大空襲」の場合などは、関係者の努力で、博物館等に証拠となる品々が展示されており、多くの写真や資料も公開されているのはご存知の通りです。
 実は、この小学校のある町も、空襲で学校や家々が焼かれているのです。ごく身近なと言うより自分達の町が空襲で焼かれた事実をしっかりと語り伝える事はもっと大切だと思うのです。
 そのためには“我が町の空襲”について、正確な資料を集め、空襲体験者の方々の話を収録したり、残っている空襲の証拠や写真等を探し求めて、学校教育での教材として、或は生涯学習での学習資料として利用できるように、デジタルアーカイブ化して、後世へ伝える努力や工夫をして欲しいと思うのです。

 70年以上前の事だけに、困難な作業となるかも知れませんが・・・。