2016/06/20

ミニシアターの会

 視聴覚教育時報と似たようなコメントを書きますがお許しください。

 まあ、筆者の偏見と時代遅れの考え方が、こんな意見を書かせるだと思ってください。

 と言うのも、最近のテレビメディアや様々なSNS等による情報発信は(このブログもそのひとつでしょうが)伝える方法や表現が強く押し出されているような気がするのです。
 伝わらなくては意味がありませんから、伝わるように工夫し努力されている事は十分に理解できますが、その対象者や受容者は、それなりの考え方や感情を持った人間ですよね。

 情報発信者の思いを、簡単な文字や画像表現で伝えようとしても、その考えが伝わらなかったり、まったく思ってもいなかった抵抗感や受け止め方をされる場合も出てきていますね。

 筆者自身も、SNSを使ってのコミュニケーションで、自分の思いが伝わると錯覚した“独りよがり”コメントを発信し、誤解されてしまった失敗経験があります。

 前説が長くなりましたが、実は、これからが本論で、先日ある町の公民館で行われた“ミニシアターの会”を覗き見に行った時の話です。

 友人から、この4月から町の公民館の小さな部屋を借りて、「“ミニシアターの会”を始めたから見に来ないか」と言う伝言があり、野次馬気分で覗きに行ったのです。

 参加者は僅か8名で、途中参加を入れても10名と言う小さな会で、昔、町が制作した記録映画と、どなたかが作ったフォトムービーが上映されていました。

 上映が終わると、コーヒーを飲みながらの雑談(?)が始まりました。

 それも、映画や写真の話ではなく、それをきっかけにした自分たちの町の思い出や暮らしの話で盛り上がっていました。

 会が終わって、帰り際、通り掛かったある女性の方が呟いた「ああ、よかった!」の独り言が印象に残りました。

 よく言われますが、コミュニケーションは、それぞれの思いを伝え合い共有することができるかどうか大切だと思うのです。

 大々的行われる派手なイベント等とは比べ物になりませんが、文字通り“ミニシアターの会”が、継続して行われ、お互いの思いを伝え合いわかりあって、お仕着せではない自主的な地域を元気にする活動に結び付き輪を広げてゆく小さなバネとなる“学びの会”に発展すればいいなと思いながら帰ってきました。