2017/02/28

老アマチュア映画作家の記録

 先週の土曜日、友人の写真同好会が開かれ、世話役H氏から、“どうしても見たいのですが”と話のあった、C市のアマチュア映画クラブ会長のS氏を招いて、話を聞きながら、S氏の制作した映画「翔天の詩」(8ミリ映画をDVD化した作品)を拝見した。
 
 S氏は今年87歳、元気に過ごされていますが、アマチュア映画クラブの仲間が次々と退会され、遂に昨年クラブを解散することになってしまいました。
 
 8ミリ映画全盛時代に、多くの作品を制作され、今回拝見した作品も、H国際アマチュア映像祭入賞作品でした。
 
 作品は、かつてC市にあった航空基地から、特攻隊員として出撃し亡くなったU少尉とS氏の出会いをドキュメンタリー映画に仕上げたものでした。
 
 素晴らしい作品でした。
 ぼそぼそと話される”特攻隊員U少尉との出会い”、そして”攻機に乗り込み艦船に突っ込み亡くなったU隊員の心”、さらに”U少尉のお母さんの事”を、自分のナレーションで語る作品でした。
 
 よく、戦争を語り継ぐと言って、軍隊の事や戦争中の暮らしの事、空襲の事などを話しているのを見かけますが、実際に戦争体験をしていない方々の当時の資料を使った話よりも、老アマチュア映画作家S氏の実体験談や、自作されたドキュメンタリー映画は身に迫るものがありました。
 
 
 よく、アーカイブ化云々と言われますが、地元の方々それもごく一部の方々しか知らない実際に経験された方の映像作品こそ、しっかりと受け継いでいかなくてはならないのではないでしょうか、視聴覚センター・ライブラリーの存在価値は、こういう所にあると思うのです。

2017/02/05

映像メディアを使う

 1か月ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。
 今年も、宜しくお願い致します。
 ところで、最近は、ICTの普及定着により、映像利用の方法も多様化して来ているのはご存知の通りです。
 映像(動画)利用者ひとりひとりが、スマホやタブレットを使って動画サイトからダウンロードしたり、さらにはテレビなども映像(動画)を録画して利用するなど、かつての集団利用から、個人が選んで日常的に利用するスタイルに変わってきていますね。
 むろん、それをどうこう云々言う気はありませんが、いかなる映像や動画もひとりひとりが学ぶためあるいは知るために利用されるのが当然ですからー。

 先頃、某小学校の研究会でこんな話し合いが行われているのを拝聴しました。
 ある学年で、野生動物の記録映像を使って、自然界を例に、命の尊さを考える素晴らしい授業が行われていました。
 映像教材のよさを巧みに生かした学習指導は賞賛されるべきでしょう。
 しかし、話し合いの後半では、映像は目に訴える効果はあるが、アニメなどのフィクションでは逆に何を言わせようとしているのか考えてしまうこともある。故に教材をどう扱うかが大切である。という意見が出ていました。
 まったく、その通りだとは思います。
 しかし、その先生の真意が私には掴めなかったのだと思いますが、大切なことは、アニメだから云々ではなく、しっかりとした目的も持って主体的に映像(動画)を選び、読み取り、問題解決に役立てようとする姿勢や能力を育てる事が大切で、そのための映像(動画)ならば、フィクションであろうがノンフィクションであろうと、ひとりひとりが自ら求める情報あるいは資料として歓迎すべきことではないでしょうか。

2016/12/08

古い映像が物語るもの

 今年も残り少なくなりましたね。
 前回のブログは、極めて初歩的なミスの連続で、再三修正を繰り返す極めて単純なミスをしてしまったのです。
 未定稿メモをそのままコピペしてしまったのが要因です。

 使い慣れないタブレットを使って書いたのが間違いでしたー。えっ?お前の技術が未熟だからですって?そうですその通りです。ゴメンナサイ!

 さて、本論です。昨日の新聞に、ある町の小学校5校が1校に統合され、4校は廃校になると書かれていました。
 従って、統合した学校から遠距離の子は、バス通学になるのだそうです。
 且て、2,800名近く居た児童の数が、今は600名程度まで減少してしまった事が要因のようです。

 私事で恐縮ですが、昔、勤務した学校も早く廃校になり、今は太陽光発電のパネルが昔の校地一体を覆っており、用事で通るたび寂しく見つめています。
 当時、やる気満々の視聴覚主任として、8ミリ映画教材を作ったり、ビデオ教材を作って同僚の先生方に授業の中で使って頂いた事を想い出します。
 その頃の8ミリフィルムやビデオテープは廃校後どうしたのかわかりません。

 7月の欄でも書きましたが、移り変わる時代の中、当時は只のゴミ的存在でしかなかったフィルムやテープでも、今では、昔を物語る証拠として極めて重要な宝的役割を果たすものだと思うのです。
 雑誌「視聴覚教育」に、川崎市市民ミュージアムの濱崎氏も書いておられますが、例えば、昔の土地の様子や、地域の年中行事、自分達が子供の頃の姿が写っている当時の学校生活の様子など言葉や文字だけでは語る事のできない自分達の地域の歴史をリアルに学習する資料として利用できるのではないでしょうか。
 今、廃校跡地の太陽光発電のパネルの前を通るたび、一所懸命撮ったフィルムやビデオテープの映像を思い出します。

 みなさん!どうぞよいお年お迎えください。

2016/11/28

現実を考える

 総合全国大会も無事終了しました。
 生涯学習関係の集まりも大勢の方々に参加頂き、共に報告頂いた方々、適切な指導助言を頂いた先生方に深く感謝しています。
 優れた事例報告は、参加された視聴覚センター・ライブラリー関係方々にとっても、有意義な内容であり参考になったかと思っております。

 後日、大会の詳細報告については、時報やWEBサイト等でお知らせする予定になっています。
振り返って、ここ何年かの全国大会紀要を眺めてみますと、似たようなテーマや切り口からの主題で話し合いが行われきているような気がしてならないのです。

 むろん、今日的な教育メディアに関する取り組みとしてICTと融合したメディア利用と言う視点や方向性はこれからの視聴覚センター・ライブラリーのあり方を考えるにあたり不可欠な課題であり大いに役立つと確信していますが・・・。

 さて、大会話から、厳しい現実的な話題に変わりますが、各地域視聴覚ライブラリーの現状をデータなどから見ますと、理論と現実とにややギャップがあるような気がしない訳でもありません。

 例えば、多くの小規模地域視聴覚ライブラリーが当面している、映像メディアの整備減や予算減、そして供給減と言う問題をどう考え解決したらよいのでしょうか。

 あまりに現実的な切実な暗い問題ですが、避けては通れない問題だと思うのです。
 どこかで、みんなで知恵を出し合い、この現実的問題解決にいいヒントを見つけ出す機会も必要ではないかと思うのです。

 いや、思うだけなく何らかの形で具体化する必要もあるのではないでしょうか。
 上記のような状況の中で、ひとつまたひとつと小規模地域視聴覚ライブラリーが消滅していっている現実的な問題について、どこかで解決策や方法について話し合う機会を持つことによって、それぞれの小規模地域視聴覚ライブラリーの活路を見出すのに役立てればいいなと思うのですがー。

2016/10/23

連携

ご存知の事ですが、毛利元就が三人の子に、結束の重要性を三本の矢に例え、矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない。同じように一族も結束して強靭に生きよと説いた教訓がありますね。

連携:お互いに連絡を取り合って物事を行う事 【広辞苑】

この言葉は、いろいろな場面で使われていますが、その意味を考えてみると、いささか、反省の余地があるような気がするのです。

偏見毒舌で恐縮ですが、組織や団体が(むろん全視連も含めて)“連絡をする”つまり情報発信をする事は、インターネット社会の当世、誰でもどの組織でも考え、行っている事でしょう。

だが、“お互いに”“取り合って”となると、どうも、そう上手く行っているようには思えないのです。

例えば、このブログを例にしても、情報を読んでいる方は僅かでも居るかもしれませんが、反応は殆どない状況です。

つまり、一方的な連絡であって、連絡を取り合う所まで進む事は稀だという事です。

“取り合う“という事の背景には、それぞれの組織や団体の利害関係が存在しており、情報が大局的に見た正論であろうと、自組織や団体等の課題や目標とフィットしなかったり、解決の一助にならない情報だとすれば、反応するつまり連絡を取り合う意欲も行動も消極的と言う事になるでしょう。

逆に、それぞれの組織や団体が抱えている問題解決に役立つならば、飛びついてゆくことになるかも知れませんがー。

個人であろうと、団体組織であろうと、お互いが、それぞれの実情や目的を踏まえ、何をどのようにすれば、自組織団体の問題解決や発展につながるか、共通理解し“物事を行う事つまり連携する事が重要だと思うのです。
 3本の矢ではありませんが、組織団体が連携し、自らの組織団体の充実発展を図るために、協議会や連絡会議、研究大会などがあるのだと思うのですがー。

2016/09/28

メディアと地域社会

 “暑さ寒さも彼岸まで“と言われますが、今日も気温は28度を超え、真夏並みの蒸し暑さの中で、まもなく9月も終わり、秋たけなわの10月を迎えようとしています。
 誠に恥ずかしい話ですが、サボりにサボりを重ね、2か月近くの空白を作ってしまいました。(お詫びいたします)

 さて、再開にあたり少し大胆な提案をしてみたいと思うのです。

 と言っても、只の空論ではなく、実際に提案に近い活動をしている所もあるという事を念頭において愚論をお読み頂ければ有難いのです。
 視聴覚センター・ライブラリーのあり方について、調査研究等を通して、検討されていますが、これからの視聴覚センター・ライブラリーのあり方を考えるひとつのヒントとして、学校教育や社会教育施設等への教材提供や研修機会の提供機能等は当然ですが、そこに留まらず“メディア・コミュニティ”の拠点として機能するという考え方はできないだろうかという考え方を持っているのです。

 つまり、発想の基盤を、地域において、地域の施設や人々が、メディア等を適切に利用できる環境整備や支援活動等の機能を充実させる事により、少子高齢化や過疎化が進む地域だけではなく、人と人との関係の希薄化・孤立化が進む地域、あるいは情報過多時代とも言われ、安心して情報利用が難しくなっている今日、ICT等を活用することにより、それぞれのコミュニティにおけるヒューマンコミュニケーションの充実や、日々の情報提交流や利用が安心して行える地域、つまり“メディア・コミュニティ“と言うもうひとつの機能を持つことにより”地方消滅“などと言われる問題を多少でも回避することができるのではないかと思うのです。

 視聴覚センター・ライブラリーは、情報環境の構築や利用・学習支援を、地域のメディア施設のひとつとして、他のメディアに関わる各行政組織等と連携することによって進めることはできないだろうかと思うのです。

2016/07/29

ゴミと宝

 以前、「記録映画・むかし」と言うテーマで書かせて頂いた、昭和の中頃、地方の小さな町が制作した16ミリ映画の話をもう一度考えて見たくて取り上げてみました。

 この映画は、江戸時代、この地方にあった大きな湖を干拓して新しい村や広大な農地を作り出した歴史を映画化したものですが、その結果として変化している町の様子や、暮らしそして仕事の様子(半世紀以上前)も描かれています。
 江戸時代の干拓の経緯が学べる事は勿論ですが、半世紀以上前のわが町の情景や産業、人々の暮らしの映像は、本編のテーマは異なるのですが、今と言う視点から見ると貴重な映像資料となっているのです。
 今、多くの視聴覚ライブラリーから16ミリ映画フィルム教材や録画テープ教材の廃棄届が出されていますが、確かに映写機が使えなくなり、フィルムが老朽化して使用できなくなっているのは確かです。

 だから、ごみ扱いで捨ててしまっていいのでしょうか?デジタルアーカイブの重要性が認識され、各地でそのための活動が行われている今日、生涯学習や学校教育で学ぶために役立つ貴重な映像コンテンツが映画や録画の一部に記録されているかも知れません。
 かつて映像資料のデータベース化(当時はデジタルアーカイブという言い方は普及していなかった)の仕事をした時、どのような考え方で映像資料を収集蓄積したらよいか、研究者の方々に指導を受けた時「はじめは、只のゴミでしかない場合も多いですよ。しかしそれをデータとともに蓄積保存し、時間が経過し状況が変化してゆく中で、只のゴミだった映像資料が貴重な宝になるケースも多いですね」と、話してくれたことを思い出します。
 ICT化が進む中で、映像コンテンツをデジタル映像化し、アーカイブすることで、自分達の地域の歴史や自然文化を考える資料として、次世代に引き継いでゆく貴重な役割を果たすのではないでしょうか?