2014/07/01

教え、学ぶ道具

 書棚の片隅から、変色した昔の視聴覚教育時報が出てきました。懐かしく読み直していると、その巻頭言に筆者の愚言が掲載されているのに気が付きました。
 曰く、“メディア上手の授業下手”と言うテーマで、とかく視聴覚を担当される先生方の中には、視聴覚機器については精通し、技術も優れている先生が多いのですが、肝心の普段の授業の中で、それらを使って子供の力を伸ばす”となると、どうもー?”考えてしまうような授業下手な先生ではいけない“と、今読み直して見ると恥ずかしいような暴論を書いているのです。
 巻頭言を書いてから、既に二十年近く経過しており、現在では産官学挙ってICT教育に取り組み、その成果が公表され、各学校等にICT活用が普及し始めています。
 しかし、自分の身の回りの、ごく普通の学校を見る限りでは、まだまだこれからかなと言う思いもしないではありません。
 念のため、知り合いの某校長に伺ってみると、“十分理解してはいるんですが、普段の授業を変えると言うところまではなかなかー”という答えが返ってきました。
 とは云うものの、ごく普通の学校の授業も、静かにそして少しずつ変わってきている事も確かです。
 教育に限った事ではありませんが、それぞれの専門分野の方々は、それぞれの分野の必要性や重要性を説かれます。(当たり前の話ですが・・)
 しかし、それを受容し授業をする側の、ごく普通の学校の先生方に必要な事は、社会や地域の現状やひとりひとりの子ども達の事を考え、将来を見つめ、それらの理論や考え方を冷静に考え判断し、バランスのとれた実践ができる能力ではないでしょうか。
 話を、暴論の続きに戻させて頂きますが、確かに電子黒板、タブレットと進化したメディアが導入されていますが、それらはあくまでも“教える”“学ぶ”ため、つまり日常の指導や学び方等の効果を高めるための道具である事を念頭において欲しいのです。
 ICT活用により、日常の“教え”や“学び”が変わらなくては何の意味もないと、誰もが思うごく当たり前な事を呟きたいのです。