2018/03/07

変わるライブラリー


視聴覚ライブラリー総数を統計から見ても、最盛期の半数程度までに減少しており、映画や録画教材貸し出しを行うだけの組織の存在意義が問われているように見えます。
 しかし、それはそれで、地域に大きな影響力を持ちうる文化事業として否定するものではありませんし、逆に映像文化はしっかりと根付いている事を認識した上でコメントすべきでしょう。 しかし、繰り返し述べてきましたが、ICT化した社会の中で、メディア環境は多様化し、“インスタ映え“が流行語になったように、今では、誰でも写真や動画を見聞きするだけでなく、撮り創り送り交流する事が日常化している事はご存じのとおりです。
 
当然の事ですが、そこには世代や生活環境によって、見聞きすることも、ましてや創ることなどと縁遠い方々との格差を生み出し、弱みに付け込んだ、情報犯罪の多発など情報リテラシーの脆弱さが問題になっているのも現実でしょう。
 アクティブラーニングと言われますが、今日の学校は無論のこと一般社会も、受身の学び時代ではないと思うのです。 各地で、積極的に活躍しているのは、自らが社会問題や学習課題等に主体的に取り組む、学びのサークルやボランティアグループ等であることに注目したいのです。
 
これからのメディアは、むしろそれらのグループや団体等の主体的活動により、“学び・創り・送り・使う”ことになるのではないでしょうか。
 視聴覚ライブラリーも、そんな市民メディア活動支援の機能をメインに考えるべき時代に入っていると思うのです。 各地方の自作視聴覚コンクール等を見ても、学校が自作教材の大半をしめていた時代から、個人や地域の同好会やグループ等の作品が多くなっているようです。
 
また、ICT関係の技術講習などもNPOやボランティアグループが主催して成果を上げているケースも多くみられます。 社会教育施設のみならず広い意味での生涯学習として、高齢者施設や保育関係施設、あるいは介護施設等々でのメディアを使った活動を行うボランティアも増えています。
 
視聴覚ライブラリーを唯の“映画や録画教材の貸し出し機関”から、ICTを駆使し、メディアを学び・創り・送り・使うための学習機会の共有、技術支援、機器及び環境提供をサポートする地域メディアセンターとしての発想に転換すべき時期に来ているようにも思うのです。

2018/03/04

上映会へ潜入!


 テレビのバライテー番組のキャッチコピーの様なテーマで恐縮ですが、先月、知人の紹介で、ある町の公民館が主催する「映画上映会」を見て来ました。
“もう、映画の時代ではない“などと、言われますが、本当に地域の人達は映画を見ないのか?と言う疑問を自分の目で確かめたくて出かけたのです。
少し、時間に遅れて公民館の1階ホールに行くと、DVDによるドキュメンタリー映画の上映会は始まっており、入り口からそっと覗くと会場は満席でした。

後で、参加者の名簿を盗み見したら、100人近くの方々が上映会に来ている事がわかました。

紹介してくれた友人は、上映係としてプロジェクターの操作を担当していました。
   プロジェクターの光を透かして見ると、中年から高齢の男性そして女性
の姿が目に入り
ます。
この上映会は年間、「子ども上映会」と大人を対象の「上映会」を隔月に開催しているそうで、来場される方々は、地域内に住む幼児やその父母の方々、公民館で他の講座や集まりに参加している方、他の生涯学習施設に学んでいて、チラシやポスターを見てやっきたという方々、さらにボランティアをされている方々と同じ集落の方々等々でした。
ここまで、聞いてみて、上映会が成功している大切なポイントは”地域の人間関係“だという事に気付きました。
 高齢化社会や過疎化云々と誰もが言います。
しかし、現実そこに住む方々は、毎日の暮らしの中で、他の人々との交流機会を求め、共に学び、一緒に楽しんでいるのです。
つまり、この上映会ボランティアの方々は、理屈ではなく、公民館主催の上映会を通し 結果的には“地域の活性化“に努めているという事になる訳です。
 ”理屈ではなく”と書いたのは、ボランティアの方々に聞くと、“地域の活性化”のために努力しているなどと言う方は居ませんでした。
 “いや、私達も上映会をする事を楽しんでいるんですよ“と言う答えが返ってきました。
上映会が終わった後、映画を見られたある高齢者の方に感想をお聞きしたら、”今日の映画よかったよ、見終わって楽しかったなあと思うような映画がいいね、悲しい話や辛い話の映画は見たくないね””それにさあ、映画を見て、みんなでお喋りしたり、笑ったりしているのが楽しいんだよ”とも言っていました。