先週の土曜日、友人の写真同好会が開かれ、世話役H氏から、“どうしても見たいのですが”と話のあった、C市のアマチュア映画クラブ会長のS氏を招いて、話を聞きながら、S氏の制作した映画「翔天の詩」(8ミリ映画をDVD化した作品)を拝見した。
S氏は今年87歳、元気に過ごされていますが、アマチュア映画クラブの仲間が次々と退会され、遂に昨年クラブを解散することになってしまいました。
8ミリ映画全盛時代に、多くの作品を制作され、今回拝見した作品も、H国際アマチュア映像祭入賞作品でした。
作品は、かつてC市にあった航空基地から、特攻隊員として出撃し亡くなったU少尉とS氏の出会いをドキュメンタリー映画に仕上げたものでした。
素晴らしい作品でした。
ぼそぼそと話される”特攻隊員U少尉との出会い”、そして”攻機に乗り込み艦船に突っ込み亡くなったU隊員の心”、さらに”U少尉のお母さんの事”を、自分のナレーションで語る作品でした。
よく、戦争を語り継ぐと言って、軍隊の事や戦争中の暮らしの事、空襲の事などを話しているのを見かけますが、実際に戦争体験をしていない方々の当時の資料を使った話よりも、老アマチュア映画作家S氏の実体験談や、自作されたドキュメンタリー映画は身に迫るものがありました。
よく、アーカイブ化云々と言われますが、地元の方々それもごく一部の方々しか知らない実際に経験された方の映像作品こそ、しっかりと受け継いでいかなくてはならないのではないでしょうか、視聴覚センター・ライブラリーの存在価値は、こういう所にあると思うのです。
2017/02/28
2017/02/05
映像メディアを使う
1か月ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。
今年も、宜しくお願い致します。
ところで、最近は、ICTの普及定着により、映像利用の方法も多様化して来ているのはご存知の通りです。
映像(動画)利用者ひとりひとりが、スマホやタブレットを使って動画サイトからダウンロードしたり、さらにはテレビなども映像(動画)を録画して利用するなど、かつての集団利用から、個人が選んで日常的に利用するスタイルに変わってきていますね。
むろん、それをどうこう云々言う気はありませんが、いかなる映像や動画もひとりひとりが学ぶためあるいは知るために利用されるのが当然ですからー。
先頃、某小学校の研究会でこんな話し合いが行われているのを拝聴しました。
ある学年で、野生動物の記録映像を使って、自然界を例に、命の尊さを考える素晴らしい授業が行われていました。
映像教材のよさを巧みに生かした学習指導は賞賛されるべきでしょう。
しかし、話し合いの後半では、映像は目に訴える効果はあるが、アニメなどのフィクションでは逆に何を言わせようとしているのか考えてしまうこともある。故に教材をどう扱うかが大切である。という意見が出ていました。
まったく、その通りだとは思います。
しかし、その先生の真意が私には掴めなかったのだと思いますが、大切なことは、アニメだから云々ではなく、しっかりとした目的も持って主体的に映像(動画)を選び、読み取り、問題解決に役立てようとする姿勢や能力を育てる事が大切で、そのための映像(動画)ならば、フィクションであろうがノンフィクションであろうと、ひとりひとりが自ら求める情報あるいは資料として歓迎すべきことではないでしょうか。
今年も、宜しくお願い致します。
ところで、最近は、ICTの普及定着により、映像利用の方法も多様化して来ているのはご存知の通りです。
映像(動画)利用者ひとりひとりが、スマホやタブレットを使って動画サイトからダウンロードしたり、さらにはテレビなども映像(動画)を録画して利用するなど、かつての集団利用から、個人が選んで日常的に利用するスタイルに変わってきていますね。
むろん、それをどうこう云々言う気はありませんが、いかなる映像や動画もひとりひとりが学ぶためあるいは知るために利用されるのが当然ですからー。
先頃、某小学校の研究会でこんな話し合いが行われているのを拝聴しました。
ある学年で、野生動物の記録映像を使って、自然界を例に、命の尊さを考える素晴らしい授業が行われていました。
映像教材のよさを巧みに生かした学習指導は賞賛されるべきでしょう。
しかし、話し合いの後半では、映像は目に訴える効果はあるが、アニメなどのフィクションでは逆に何を言わせようとしているのか考えてしまうこともある。故に教材をどう扱うかが大切である。という意見が出ていました。
まったく、その通りだとは思います。
しかし、その先生の真意が私には掴めなかったのだと思いますが、大切なことは、アニメだから云々ではなく、しっかりとした目的も持って主体的に映像(動画)を選び、読み取り、問題解決に役立てようとする姿勢や能力を育てる事が大切で、そのための映像(動画)ならば、フィクションであろうがノンフィクションであろうと、ひとりひとりが自ら求める情報あるいは資料として歓迎すべきことではないでしょうか。
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