しかし、過去に拘らず将来を考えるひとつのメッセージとして、以前のブログを振り返って再考するのもいいかなと、見直していたら、こんな記事が見つかりました。
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ある研究大会の主催者挨拶で「メディアは学習の道具である」と、声高に語られているのを聞きました。
かなり前から言われ続けているフツーの考え方です。
なのに、さもさもメディア利用の今日的な考え方として語られていましたし、参加者の中には、「それって前も聞いたよね・・・」と囁き合う姿も見られましたが沈黙を守っていました。
時代が変わり、環境が変わり、技術が進歩し、人が変わっている現代、めぐりめぐって表現やスタンスが変わり、新しい考え方となって発信されることが多々あります。
N島みゆきではありませんが“回る回るよ時代はまわる・・”めぐりめぐって今似たような問題状況に当面し迷っている人々は、言われ続けてきているはずの理論も新しい考え方として写るのでしょうか。
時代を駆け抜けた人々は”過去の話さ”と多くを語ろうとしません。
しかし、創造や発見は経験や理論の累積や吟味を通して創り出されていくものではないでしょうか、そうだとするならば過去の経験や理論を、思い出話としてではなく、現在をしっかりと認識し理解した上で今日に語り継ぐべき責務があると思うのです。
そのメッセージのバトンを受け、今の教育状況やメディア環境に合せて翻訳する知恵が、時代に即した新たな理論や実践を創造するエネルギーになると思います。
語らないメッセージは伝わらない。*年前のメッセージでした。