旧聞で恐縮ですが、「戦後70年」に当たる昨年夏休みに、ある小学校を会場に、地元の先生方が主催する「戦争と空襲を語る会」が行われた時の話です。
ベテランのA先生が「東京大空襲」について資料を示しながら、空襲の恐ろしさを話していましたが、さすがに、資料の使い方も話術が素晴らしく、焼夷弾攻撃で家を焼かれ、その炎の中で焼け死んだ子供の話になると、涙ぐんでいる子もいました。
会場には、米軍のB29の写真や、空襲で燃える町の写真、空襲で投下された本物の焼夷弾の薬きょうや古びた防空頭巾、防空壕の子供達の写真、そして当時の教科書等なども展示してありました。
空襲の様子や戦争中の生活に関する資料を多く集められた努力には頭が下がりました。
それだけに、戦争や空襲の語り聞かせをするために、どんな工夫や苦労をされたか、聞いてみたくなりました。
なぜなら、語り聞かせるA先生自身は、戦争を体験されているわけではないのですから、如何に戦争や空襲に関する情報を集め、その情報の正しさを確かめ、まとめ、伝えるかが重要な事だと思ったからです。
「東京大空襲」の場合などは、関係者の努力で、博物館等に証拠となる品々が展示されており、多くの写真や資料も公開されているのはご存知の通りです。
実は、この小学校のある町も、空襲で学校や家々が焼かれているのです。ごく身近なと言うより自分達の町が空襲で焼かれた事実をしっかりと語り伝える事はもっと大切だと思うのです。
そのためには“我が町の空襲”について、正確な資料を集め、空襲体験者の方々の話を収録したり、残っている空襲の証拠や写真等を探し求めて、学校教育での教材として、或は生涯学習での学習資料として利用できるように、デジタルアーカイブ化して、後世へ伝える努力や工夫をして欲しいと思うのです。
70年以上前の事だけに、困難な作業となるかも知れませんが・・・。
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